5:さの町場エリア


 大阪湾に面した佐野周辺は大昔から漁業が盛んで、中世末から近世には五島列島・ 対馬そして関東へも出漁していました。
北前船や菱垣廻船などの廻船業で富を得た食野家・唐金家は井原西鶴の「日本永代蔵」に登場する豪商でさの町場をホームグラウンドにしていました。
食野家は多くの豪商たちと婚姻関係を結んで莫大な財力を手にしました。
さの町場はこれらの大商人の経済力をバックに形成されました。
 もともと田んぼだったところを埋め立て家を建てて広がっていった町で都市計画に基づいて作られた町ではありません。あぜ道を利用して通りにしたので、道幅は一定せず細かく曲がりくねっています。見通しが悪くガイドなしでは歩けない「天然迷宮都市」と言われる所以です。
さの町場の繁栄は戦後昭和40年代頃まで続きます。残念ながら現在は往時の賑わいは ありません。戦災を免れたおかげで江戸から昭和期の建物がたくさん残り、多くが今でも現役で使われています。

コースガイド

泉佐野駅 → 上善寺 → 妙浄寺 → 春日神社 → お多福石 →旧新川家住宅 [泉佐野ふるさと町屋館] → 大将軍湯 → 西法寺 → 食野宅趾碑 → いろは蔵通り → 力石 → 泉佐野駅

2021年04月15日