ストーリー2ー北前船寄港地・船主集落ー
武士階級を頂点に身分制度が確立していた江戸時代。
自分の才覚と努力で一攫千金を為す。アメリカンドリームならぬ北前船ドリーム!!!
一攫千金を夢見て荒波を越えた男たち。
ここ、さの町場は そんな男たちの夢が紡いだ異空間。一攫千金を果たした船主たちのホームグラウンドでした。
さの町場は長者伝説が残る町。輩出した名だたる江戸の豪商たちー食野、唐金、矢倉、、、そして彼らの財力をバックに町は形成されていきました。武士以外のあらゆる職業の人々で成り立っていた町。
元禄二年に江戸時代の儒学者、貝原益軒がその著書、「南遊紀行」で泉州、佐野を以下のように紹介しています。
「貝塚より一里あまり。民家千軒ありと云。富商多し。民家皆瓦葺きにて宅狭く町を
なさず。ただ家のみ多し。」
都市計画などとは無縁に 田んぼをつぶしては次々と家を建設していった。田んぼのあぜ道はそのまま道路になり、細く曲がりくねった道路に沿って大小の家々が雑然と並んで広がっていった町。現代の人が名付けて「天然迷宮都市」と呼ぶ。
ガイドなしでは歩けない町。昔の町並みをほうふつとさせる名残が色濃く残っている
町です。
北前船は大阪と蝦夷地(北海道)を日本海廻りで航海して、一航海で千両(6000万~1億円)の儲けになったそう。
春3月に大阪を出港して、4月末~5月に北海道到着。8月ごろには北海道を出港して、
台風シーズンの前に帰阪する。寄港地ごとに物産を売買しながらの航海。ーー1年で一往復の航海。最高責任者は船頭で、船の運航から商品の売買、乗員の統率まですべてを統括していたそう。
さの町場は食野家、唐金家、など北前船で財を成した豪商たちを中心に成立した町です。人の暮らしに必要なありとあらゆる職種の人たち(武士以外)が住んでいて、完全に町人の
町でした。